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府中市の自然が生んだ一打の響き 世界へ

2025年03月12日
2025.03.12
我龍 代表 竹内孝志さん

和太鼓のユニット「我龍-GARYU-」代表 竹内孝志さん

 府中市諸毛(もろけ)町を拠点に、国内外で活躍している和太鼓のユニット「我龍-GARYU-」。2005年の結成以降、コンサートやイベントでの演奏、楽曲制作、地元の子どもたちへの和太鼓指導など幅広い活動で知られています。和洋の楽器とコラボした、聴く人の気持ちを上げる独創的な楽曲も人気。古里の自然からインスピレーションを得て生み出された音楽は我龍だけの個性であり、強みといいます。竹内孝志さんに、我龍の魅力や広島や古里・諸毛町への思い、今後の目標などについて聞きました。

我龍
府中市制70周年を記念したコンサート「燎炎護辰」。竹内さん㊧と弟の裕樹さん

2025年は結成20周年。
節目を控えた昨年も充実していました。

 2024年は、府中市制70周年を記念したコンサート「燎炎護辰(りょうえんごしん)」を企画しました。4月には上下町の酒蔵と大正時代から続く芝居小屋「翁座」を会場に計4回、公演しました。和洋の音楽アーティストだけでなく作庭家や映像制作のスペシャリストともコラボレーション。空間にもこだわり、太古から人類に恵みとともに破壊ももたらした「火」がテーマのオリジナル曲「月ノマニ」や「天地翔」などを演奏しました。ロシアのウクライナ侵攻など戦争の炎を鎮め、平和を祈念する思いも込めたつもりです。12月にはジーベックホール(府中市文化センター)で、リメイク公演も開催。「燎炎護辰」は計6回の公演で、延べ約2千人のお客さまに楽しんでいただきました。
 海外では、米国ボストンで4月に開かれたジャパンフェスティバルでもパフォーマンスを披露しました。また、ボストン大学やハーバード大学など五つのキャンパスを巡り、現地の人たちと和太鼓を作る試みもしました。完成した太鼓は、友情と平和を象徴する「絆-kizna-太鼓」としてハーバード大学に寄贈しました。

我龍
ボストンのジャパンフェスティバルでパフォーマンスを披露

和太鼓との出合いは、幼い頃の夏祭り。
太鼓を打つ近所の人たちの姿が印象的でした。

 諸毛町の諸毛八幡神社に平安時代から伝わる「太鼓踊り、みあがり太鼓」という伝統行事があります。山の神さまに奉納するために、地元の人たちが山の中で太鼓を打つ夏祭りで、小学2年生の時に見ました。近所のおじちゃんたちが浴衣姿で太鼓を打つ姿が格好良くて。それが、和太鼓に魅せられた始まりではないでしょうか。

我龍
諸毛町の「太鼓踊り、みあがり太鼓」

 団体に入るなど本格的に始めたのは、福山工業高校2年生の時です。広島工業大学に入学後は、練習環境を作りたくて大学内に和太鼓サークルを作りました。その頃は、一番多い時で八つの和太鼓グループに入り、演奏と稽古に明け暮れて寝る間もないぐらい打ち込みました。「太鼓打ち」として生きていこうと大学卒業後、諸毛町に帰って「鼓雷刄(こらいじん)」というグループを結成したものの、10カ月ほどで活動を休止してしまいました。けんみん文化祭ひろしまで目標としていた最優秀賞ではなく優秀賞だったので、もう一度修業し直そうと思ったんです。

我龍
「目標を一つ一つクリアしてきたからこそ、今がある」と話す竹内さん

目標を毎年クリアして今があります。
その積み重ねが大切です。

 独自の音楽を目指し、和太鼓だけでなく他のジャンルも学ぼうと思っていた頃、尾道市内のライブハウスでドラマーの香本俊介(2020年に脱退)と出会いました。楽しそうにドラムを叩く香本を見て、同じ打楽器でも和太鼓とは全く違う魅力を感じ、「一緒にやってみたい」と声をかけました。2005年に和洋の太鼓ユニットを結成。2年後には弟の裕樹も和太鼓奏者として加わりました。
 結成から20年の間で、ステップを一段ずつ上がっていくように計画通りに活動を展開していきました。最初の年は自分たちの世界観をしっかり表現した楽曲づくり、次の年は30分ほどの舞台を作る、という具合です。その先に、結成10周年記念のTTCアリーナ(府中市立総合体育館)でのコンサートの成功がありました。2日間で約3千人を動員し、チケットはソールドアウト。10周年の数年前からは、台湾やフランスといった海外でのライブやイベントの出演もこなすようになりました。地道な積み重ねを経て、今があると感じています。

我龍
和太鼓を習う子どもたちの前で話す竹内さん(中央)

諸毛町で活動するからこそ、
我龍だけの楽曲が生まれます。

 地元の山が好きで、山中に入って曲を作ることもあります。古里が自分の感性にも影響しているのは確かです。豊かな自然をテーマにした楽曲は我龍の個性であり、強みです。東京で活動していたら練習場所の確保も大変ですが、地元なら農家の倉庫を改造した自分の道場で練習すればいいわけですし、お金もかかりません。ニューヨークに行く際に、自宅の玄関から現地に到着するまでどのぐらいの時間がかかるか測ってみたら、24時間ほど。東京から出発しても数時間の差で、たいした違いはないんです。アーティスト活動は、東京でしかできないわけではありません。
 地元への恩返しとして、成人式など府中市のイベントには依頼があれば出来る限り応えています。子どもたちへの指導にも力を入れ、和太鼓の魅力を次世代に伝えようと十五鼓乃会というグループを我龍結成と同時期に立ち上げました。メンバーは、府中市内に住む小学生から大人まで20人ほどで、毎週練習しています。2023年に石川県で開かれた「第38回国民文化祭 いしかわ百万石文化祭2023・太鼓の祭典」にも出場するなど実績があります。2020年から福山市で始めた和太鼓教室も、毎回見学者が訪れるほどの人気です。
 今夏には、国際民間文化芸術交流協会(IOV)が主催する台湾でのフェスティバルに子どもたちを参加させます。備後地域の5団体で「廣島新鋭太鼓」というチームを作り、スタッフも含めた35人ほどで現地に出向いて演奏します。思い出に残るいい経験をさせたいですね。

我龍

「広島のアーティスト」として
平和のメッセージを届けたい

 海外では、広島のアーティストというと「平和」をイメージする方が多いですね。フランスのマルセイユで2015年に演奏した時、外国人部隊の兵士たちが「平和のメッセージを受け取りたい」と胸に手を当てて聴いてくれました。台湾では、「もし、原爆を落としたB29のパイロットに広島の友達がいたら、友達の頭上に落とせただろうか」という話も聞きました。友人が海外のあちこちにいたら、無益な争いは起きないかもしれません。我龍は、広島の人たちにとっては「府中のアーティスト」という認識かもしれませんが、外国では「広島のアーティスト」。我龍の結成20周年、そして被爆80年の今年は海外へ積極的に出かけて演奏と共に平和の大切さも伝えながら、一人でも多く友人をつくって争いを遠ざけることができたらと考えています。

我龍

※プロフィール
 たけうち・たかし 1981年生まれ、府中町諸毛町出身。福山工業高校2年の時に、本格的に和太鼓を始め、広島工業大学を卒業後に「太鼓打ち」として独立。「鼓雷刄」を経て2005年に「我龍」を結成。近年の活動は、ニューヨーク・ハワイツアー(2019年)、自主公演「HEROES」(2020年)、福山城築城400周年記念CD「鬼ヒュウガ」リリース(2022年)、ジャパンフェスティバルカナダ出演(2023年)、府中市制70周年記念コンサート「燎炎護辰」(2024年)など
我龍HP  https://garyu.bz/

【我龍の今後の出演予定】

6月7日(土)

備後国府まつり

8月2日(土)

ベジタブルなコンサート

8月8日から18日まで

廣島新鋭太鼓の指揮者として、台湾に遠征

取材・文/仁科久美 写真/西江浩二
取材場所/Vulca CAFE(バルカカフェ)